東京地方裁判所 平成2年(ワ)13944号 判決 1991年11月12日
原告
青木
被告
米島暎朝
右訴訟代理人弁護士
小川敏夫
同
保坂志郎
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
1 被告は、その自宅である東京都文京区<番地略>所在のマンションの一〇一二号室の木製床を撤去した上、その床を畳敷または絨毯敷に変更せよ。
2 被告は、右変更済みまで、右木製床を使用してはならない。
3 被告は、原告に対し、二一八万円を支払え。
第二事案の概要
一原告の主張
1 原告は、東京都文京区<番地略>所在のマンション(通称湯島ハイタウン)の九一二号室(以下「原告方居室」という。)に家族(妻、娘及び息子)とともに居住しているものであり、被告は、右九一二号室の階上の一〇一二号室(以下「被告方居室」ともいう。)に家族(妻及び四子)とともに居住しているものである。
2 被告は、右一〇一二号室に入居するにあたり、原告の承諾を得ることなく、平成二年四月一日から同室にいわゆるフローリング工事等を行い、約一〇〇m2強にわたって木製の床(以下「本件木製床」という。)を設置してしまったため、原告及びその家族は、右工事開始後その工事騒音に悩まされるとともに、被告及びその家族が被告方に入居した後は、同人らが本件木製床を歩く足音、椅子などを引きずり動かす音、掃除機の音、戸の開閉の音、特に子供らが椅子などから本件木製床に飛び降りたり本件木製床上を跳びはねかけずり回ったりする音等に悩まされ続けている。被告及びその家族が発する右の音は、重低音を伴うもので原告ら家族四人の我慢の限界をはるかに超えたものであり、まさに騒音であって、その音は、階下である原告方に、毎日、朝六時ころからひどいときには真夜中の二時ころまで、頭上より響きわたっている。原告が管理人を通じて注意の電話をすると、ことさらに右の騒音を発生させる始末である。
3 そのため、原告及びその家族は静かな状態の中で仕事や生活をすることができず、安眠も妨げられ、ために原告は偏頭痛が発生し、妻は手術後の安静ができず、娘及び息子は試験勉強が妨げられるなど、原告は多大な精神的苦痛を被っている。これをしいて金銭的に評価すれば、一日一万円を下らないものである。
4 被告方の前記騒音は、今後もなお反復的に続くものと考えられる。
5 そこで、原告は、被告に対し、本件木製床を畳敷また絨毯敷に変更するよう求めるとともに、それまでの間の本件木製床の使用の差止めを求め、併せて、さしあたり右フローリング工事等が始まった平成二年四月一日から同年一一月四日までの二一八日間の慰謝料合計二一八万円の支払いを求める。
二被告の主張
被告が本件一〇一二号室に入居するにあたり、同室の床をいわゆるフローリング工事により木製の床にしたことは認めるが、原告主張のような騒音を原告方に与えているとの点は否認する。むしろ、フローリング工事は遮音性を高めるために行ったものであって、実際には、原告方に伝播する音の程度は被告が入居する前より著しく小さくなっているはずである。少なくともいわゆる受忍限度を超えることはない。
第三当裁判所の判断
一証拠(<書証番号略>、原被告各本人、弁論の全趣旨)によれば、次の事実が認められる。
1 本件マンション(通称湯島ハイタウン)は、昭和四五年三月ころに建設されたもので、原告及びその家族(妻、娘(平成二年四月当時二五才)及び息子(同二四才))は、右建設直後から本件マンションの九一二号室に居住しており、他方、被告及びその家族(妻、現在小三の男児、小一の女児、六才及び三才の幼稚園女児)は、平成二年七月上旬ころに本件マンション一〇一二号室に転居してきたものである。右原告方九一二号室は本件マンションの九階に、被告方一〇一二号室はその一〇階にそれぞれ位置し、両室は上下の関係にある。
2 被告方一〇一二号室の前居住者は、本件マンション建設直後から三好修夫妻で、同人らには子供はなく、平成二年四月当時三好修は七〇才位であった。本件一〇一二号室の間取は当初原告方と同じであったが、三好修は、途中で畳の部屋を取り除いて隣接する居間と一緒にしてワンルームとし、床ボードの上に絨毯を張って使用していた。
3 被告は、本件一〇一二号室を右三好修から購入したが、同室に入居するにあたり室内改装工事を行うこととし、平成二年四月一日から、業者をして、前記の床ボード及び絨毯等を撤去して床を板張りにするいわゆるフローリング工事を行わしめ、また、天井の板を張り替える工事等を行わしめて、その完成後の同年七月上旬ころ家族とともに入居した。右フローリング工事は、主として、長男が小児ぜんそくを患っているため行われたものである。
4 ところで、フローリング工事とは、マンション等の居室内の床を板張りにする工事のことであり、その概要は、コンクリート床面(スラブ)にゴム製クッションのついたナイロン樹脂製の支持脚を立て(一m2につき約八本)、その上に正方形ないし長方形の床パネル(厚さ約2.0ないし2.5cmを張り、更にその上に捨張り板を張って、この上に表面仕上材(板)を張りつめるというものである。コンクリート床面から床パネル上面までの高さは、約四ないし24.4センチメートルの間で自由に設定できるものとされている。(<書証番号略>)
被告の行った本件フローリング工事の内容は明らかでないが、基本的には右のようなものであったと推認される(但し、被告は、前記捨張り板と仕上材との間に更に遮音ゴムマットを張っていると述べている。)。
二1 ところで、原告は、前記のとおり、「被告のフローリング工事等の開始後、原告及びその家族は、その工事騒音に悩まされるとともに、被告及びその家族が入居した後は、同人らが本件木製床を歩く足音、椅子などを引きずり動かす音、掃除機の音、戸の開閉の音、特に子供らが椅子などから本件木製床に飛び降りたり本件木製床上を跳びはねかけずり回ったりする音等に悩まされ続けている。被告及びその家族が発する右の騒音は、原告ら家族四人の我慢の限界をはるかに超えるものである。」旨主張している。
たしかに、当裁判所の検証の結果(第二回)によれば、本件木製床を青年男子(身長約一七〇cm、体重約七五kg)が通常歩行したときの歩行音を原告方において聞くことができたし、また、中学二年生の男子(身長約一六三cm、体重約四七kg)がスキップ走行したときの振動音を原告方において聞くことができた。右検証の結果よりすれば、原告方においては、通常、階上の被告方において被告及びその家族が本件木製床を歩行する足音、椅子を引きずり動かす音、掃除機の音、戸の開閉の音、子供らが椅子などから本件木製床に飛び降りたり本件木製床上を跳びはねかけずり回ったりする音(以下、以上をまとめて「本件床音」という。)が聞こえるものと推認される。
しかし、問題は、本件床音が原告の状態に置かれた平均人を基準にしていわゆる受忍の限度を超えているかである。右の検証によって聞くことのできた音の大小をここで言葉によって表現するのは甚だ困難であるが、しいて一言でいえば、その音はそれほど大きくはなく、前記青年男子が通常歩行したときの歩行音についてはほとんど気にならない程度、前記中学二年生の男子がスキップ走行したときの振動音については少し気になる程度であったということができる。これによって考えてみると、被告及びその家族が発する本件床音のうち、本件木製床を歩行する足音、椅子を引きずり動かす音、掃除機の音、戸の開閉の音については、受忍の限度内にあるものということができる。その余の子供らが椅子などから本件木製床に飛び降りたり本件木製床上を跳びはねかけずり回ったりする音については、それが反復的になされるものであろうことは否定できず、また、それ自体を一回的にとらえれば受忍の限度を超えるものがあるかもしれない。しかし、右の音はその性質上必ずしも長時間にわたって続くものではなく、通常は短時間で終わるものと考えられ、そもそもそれは子供らが日常生活を営む上において不可避的に発生するものであること、他方、本件マンションは二〇年以上も前に建築されたものであり、都心の湯島に存在していること、原告自身も本件マンションで二子を育てあげていること、以上の点を考慮すると、右の音も、それを全体的にとらえれば、なお受忍の限度内にあるものというべきである。原告は、受忍の限度を超えた騒音が反復的にかつ長時間にわたって発生しているとして、<書証番号略>を提出するようであるが、右各号証に記載された原告のいう騒音がどの程度のものであったかを認めるに足る証拠はなく、それが受忍の限度を超えているかどうかを判断することもできない。
2 なお、原告は、被告方の本件室内改装工事に伴って発生した工事騒音により精神的苦痛を被ったとして、慰謝料を請求しているが、本件全証拠によるも右工事音の程度を知ることができず、それが受忍限度を超えているかどうかを判断することもできない。
3 結局、原告の本訴請求は、現時点ではこれを認容することができない。
三なお、付言するに、人間の感覚は極めて個人差の強いものであり、ある人はある音に対してなんらの苦痛を感じなくても、ある人はそれを耐え難い騒音と感じることは、しばしばある。被告は、このことに思いを至し、法律上の違法性は現在のところ証明されていないとしても、現に原告は本件訴訟を提起する程に被告方の音をうるさく感じていることに十分留意し、日常生活を送るべきである。特に、被告は、幼い子を含めて四人の子がいながら床を板張りにしたのであるから、その子らが家の中でことさらに跳びはねたりかけずり回ったりすることのないよう十分注意すべきである。他方、原告においても、被告方の子供の中にはぜんそくを患っている子がいて、そのために被告も床を板張りにしたものであることを理解し、また、子供はその成長の過程でどうしても兄弟喧嘩をしたりあるいは跳びはねたりかけずり回ったりし、ときには大きな声を出したりするものであることを思い(原告も二人の子を育てている。)、ある程度のことは大目にみてやることが望まれる。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官原田敏章)